on the earth




10月30日
朝だというのに、太陽の光は、まるで真夏の昼間のそれのよう。ガラス越しだけれど、十分エナジー補給&浄化してもらえる。
外がにぎやかで、今日は別の子たちが来てるな、、と思って見に行ったら、メジロ君たちだった。なんか、とてもうれしそうに木々の間を飛んでいて、こちらも嬉しくなる。



10月29日
ちょっとしたハプニングが起きて、原因探しが始まりそうだったけれど、自分の中に原因がなければ、そんなこと、起こらなかったよ、と思ったら、ああ、やっぱり自分か(自分も)と、腑に落ち、落ち着いた。そして、本当に落ち着いて行動しないとな、と、最近の焦り気味な行動(動き)を、やっと違和感として感じられるようになった。大切なのは、この先。



10月28日
空の色が、昔の秋の抜けるような真っ青な色とは違う。太陽の光が充満しているような、水色がかった青。太陽の輝きがすごい。



10月28日
今日は、何かに押される感じで、気がもんだり、せったりしそうになるのだけれど、どこかでそのまま行っちゃわずにいられる。職場のことも浮かぶが、それが原因じゃないって、はっきりわかる。とにかく、非生命的な方にいさせられようとして、そうじゃないと、あの手この手で来るんだな。

カラスが来た(電柱の上)・・・と思っていたら、フンが落ちてきた。こんなことって・・・。ギリギリ当たらなかったけれど、狙われてたのかしら。

今日は、やけにギギ、ギギ、と鳴く子(鳥)がたくさんいる。オレンジ色の子が、目の前に…。みんな、名前が覚えられなくて、ごめんね。



10月28日
雲一つない空! 朝8時台に散歩してた時、吐く息が白くて驚いたけど(どれだけ湿気っているの!)、順調に、今日も暑く、爽やかな日になっている。
あっという間に、キンモクセイが終わったな… と思っていたけれど、今日、何気に通りの樹を見たら、クリーム色のかわいいつぼみがたーーーーーくさんついていて、今季2度目のキンモクセイの日々がやってくる模様。自然界には、「これまでの常識」なんてない。その時、その時に合わせて、生きていくだけ。



10月26日
朝から快晴。雲は、遠くに少ししか見えない。大気はクリアー。太陽の光は力強く、当たると気持ちがいい。
毎日、毎週、毎年、同じことの繰り返しをするのが苦手な私は、途中でそれを崩したくなる。この社会で生きていくのが、少し窮屈。でも、自分次第で、それは変わる。同じことをしていても、それをする自分が違う。変化に乗っていると、関わる人や、風景が変わっていく。この秋のそれは、目まぐるしいほど。
心が焦ることないから、いつもと違う動きができる。無駄な動きっぽいけど、きっと、何か意味はあるんだろう。心の底の方が、シーンと、とても静か。穏やか。



10月25日
今日は、早朝から少し暖かいけれど、灰色のいろんなトーンの雲が空を覆っていて、しばらくすると、雨が降ってきた。でも、、胸や頭が、いつもの雨&曇りの日のように苦しくないし、不安・心配の気配も感じられない。いいなぁ。(というか、これはすごいことだ!みんなも、同じように楽になっているかな。)今日は、傘をさして買い物しがてら、散歩だ。(と思っていたら、雨が止んだ。)



10月24日
朝、家を出た時の外気温は7℃だったけれど、日中21℃まで上がり、ポカポカの1日を楽しんだ。風が強かったけれど、それも温かく、気持ちよかった。空は一面青く澄み、きれいな太陽の光が拡がり、とても楽な空間だ… と感じる中、そこに久々に見る富士山がいた。少しスリムになった?と思えるほど、スッキリしているように見えた。
とても楽だな… と思うこともなく、普通に楽に過ごしていたけれど、夕方帰宅時に、県境を超えて戻って来ると、いきなり空間が圧迫するようで、どこか苦しくなってきた。更に進んでいくと、胸が圧迫され、不安・心配を煽ってきたけれど、その材料を頭の中から見つけられないみたいで、ただの圧迫で止まっていた。不安・心配の作り方って、そうなんだなと、納得。思考が働かないと、引っかかるものが何もない、、、というか、いろんなしがらみ?と、リンクがどんどん外れてきているのか。最近、いろんなことがどうでもよく、多くのことを忘れてきている。物や人の名前(単語も)を思い出せなくて、よく困るけど。大したことないか。



10月24日
今日の太陽は、たくましかった。(ピーカンは、昨日も、今日も)
夕方、黒雲に何度も覆われたけれど、その雲を溶かし割って顔を出し、キラキラ輝き、赤く燃えて、沈んでいった。パワフルな太陽に、勇気をもらう。



10月22日
「この星のこれからのために」が、始まった。とても、心強い。これまでに経験したことのないワクワク感がある。とても静かに、でも、とても強力に。



10月21日
普通にhappy感に溢れていれば、多少のことがあっても、へこたれない(負けない)のだろう。・・・今日は、朝からやられてる。(寒いのだめだ) 朝起きてから、座ることなく、4h~動き続けているが…。



10月20日
「この星のこれからのために」のタイトルを見て、ハッとするものがあった。何かが動いたような気がする。そこから、何かが変化した?(そんな気になっているだけかもしれないが)



10月20日
心に重しがない… というだけで、happy。理由の要らないhappy感は、ただそのまま(空っぽ)でいられることかも。
こんな感じの後は、いつもダメダメなことが起こり、引きずり降ろされてた。(自分でやってるんだけど)  さて、今日は?

*** *** *** *** ***

次々行ける。時々ダメージを受けたり、余計なことを言ったり、やったりするけれど、そこに留まらず。
真の宇宙全体が、ひとつの生命体(ex.人間)なら、この身体をもった私は、足の小指の爪か何かの細胞の1つだろう。
これまで から、これから へ。

何かが、少し変わった。でも、まだまだこんなもんじゃない。末端での変化がこれ。全体の変化は、想像を超える。




10月20日
毎日出勤時間がまちまちで、その時間のことを意識して、朝からどこかドキドキしてきたこれまでだったけれど、今日は、段取りなんてまったくなく、やりたいように動いていて、気が楽。出勤前にやりたいことがいくつかあって、いつも体力(体調)を見ながら段取りしていて、それが疲れる元だった。わかっちゃいるがやめられないお菓子のようだったけれど、そんな所からも、自由になれるのか。今、時計を見て、やりたいことすべては、とても出来そうにもないけれど、気がめちゃくちゃ楽だから、It’s O.K.!



10月20日
昨日は、あれからまた曇り、雨が降ったりやんだり。夜は晴れて、今日に至るが、早朝は、太陽を隠そうと、大きな黒い布団のような雲が周りにやってきた。けれど、太陽の光に一蹴され、粉々・散り散りになって無くなってしまった。西から分厚い妙な雲がやってくるが、晴れ。朝陽が入ると、なんとさわやか!
心の曇りも、太陽の光で消されていく。朝方の夢の中で、自らのヘビ体質(もろいのにしつこく、弱いのに偉そう)が全開になっていた。これも、黒雲と一緒に、粉々にしてもらおう。
日光が肌に当たると、ほんわりあたたかく、とても気持ちがいい。本当に、これまで以上に、身体に沁みていくよう。



10月19日
一気に気温が下がり、雨も降り、おかしいだろう、こんな急な変化は・・・ と思ってみても、今日も気温は低く。昨日は、雲に負けたけれど、今日は、太陽の光が雲の後ろから強く照らし始めている。そのうち晴れるんじゃないかな…。晴れたら、温度は、グーっと上がるね。気圧のことはわからないけれど、みんな、静電気だったよね。思考OFF、頭のスイッチOFFに。

ほどなくして、晴れた!薄寒くて、エアコンをつけていたけれど、太陽が出たので切った。日向ぼっこの方が、うんと温かい。



10月17日
先日の雨の後も、さわやかな夏日が続いていて、happyだった。今朝の雨の後は、晴れたけれど、20℃には届かず、かなりさわやか。空の青の色合いが深かったり淡かったり、とてもきれいで、夕焼け空もピンク~オレンジ~水色~濃紺と、美しい。
日中、久しぶりに行った先では、思いの他大勢の人たちで混雑していたが、ほとんどの人たちが黒・白・グレー・ベージュ…と、カラフルな色の無い服を着ていて、見ていてとてもつまらなかった。(きれいな色の服は、たくさん売ってたけれどな)



10月13日
今日は、久しぶりに雨が降ってしまったけれど、何だか調子は良いみたいで、一行動後のへたれがこなく、朝の起き抜けからずっと連続で動いていられた。体重2kg増(+筋肉落ちた)ので、歩くとドスドスしてて、それはよろしくない。
調子が戻ってきた+不要物手放し中で、先に進めるなら、落ちた筋肉を取り戻して、軽やかにステップが踏めるようにしよう。



10月12日
今日は、昨日よりも雲が重厚で、時間が少しかかったね。でも、曇り→晴れで、笑顔マーク。日光を肌に受けると、それだけでパワーアップ。(気持ちいい) 今日も、素足に、肩紐1本でOKだ。



10月11日
雲に覆われた早朝から始まり、晴れたと共に、夏日開始。サンダルにタンクトップの重ね着(クーラー対応)で買い物に行くと、今はいつ? ディスプレイされているトーン低め、濃く暗い色の服たちを見て、・・・これ、着たいの?
近所や店先ですれ違う人たちも、もう、2分割できるくらい、身に着ける色がはっきりしている。黒系 vs 爽やかな色。そう、きれいな水色や、ピンク、ビビッドなイエロー系の服を着ている人たちもいて、うれしくなる。全身(ほとんど)真っ黒&マスクが黒い人たち(子供まで!)を見かけると、 あっ、、静電気足りないんだ・・・ と思う。



10月10日
この辺りでは見られない植物たちに出会える熱帯植物園(温室)に出向いてみたら、どこか動物園に似ているなと感じた。南国に似せて作られた室内で、南国に育つ植物たちが、そこで育っている。一生、そこで、本物の風に吹かれることもなく、直に空を見ることもなく、過ごしていく。世界中のあちこちの南国から連れてこられた植物たちが、所狭しと植えられて、成長するにつれて、窮屈になっていく。(種からそこで育った子たちもいる。管理はしっかりされている。) どこもかしこも高湿度で、故郷と同じ環境だろうか。(なんだろうね) ハウスの屋根を突き破って伸びたヤシの木は、下の方で切られ、頑張ったけれど青空の下で育つことはなかった。合わない環境の地で、頑張って環境を整えて育てるのは、やっぱりどこか無理があるんじゃないだろうか。(直に、見られるのは、うれしいのだけれど。) いつか(近い将来)、この地でも、庭でバナナやアボカドやマンゴーが普通に育てられる日が来たらいいな。



10月7日
珍しく朝から曇り。散歩しながら「地球の目覚め」を思っていたら、少し雲が割れて、青空の見えるところがちらほら出てきた。でも、曇り。その後、朝のいろいろをしながら動いていて、頭も重いし、身体は疲れるし、ちょっと頑張り過ぎ? いつものホットケーキを焼いて、バーリークッキーを焼いていたら、太陽の光がパーッと差してきた。晴れた!すると、頭の重さや身体のだるさが、スーッと引いていった。太陽の元気は、みんなの元気。ありがとう。



10月6日
燃えるような夏の次に来る秋は、どこかセンチメンタルになるような空気感と風景があり、“切なさ”がピッタリな季節なのかもしれない。心を惹く悲しげな恋愛の歌が、たくさん流れそう。冬を前に、仕事をしている緑の葉は、色を変え、枝から離れざるを得なくなる。寒い冬は、温かい春が来るのを、じっと耐える季節。その準備が始まるのが秋。(生命力が、じわじわ奪われていく季節…)
爽やかな空気の秋は、どこか好きだったけれど、生命世界から見た時、それこそ、とても切なく苦しい季節だった。
キンモクセイの香りや、栗やぶどうはすきだけれど、エネルギーがフェイドアウトしていく(させられていく)風景は、決してすきじゃない。



10月6日
今朝の起き抜けは、サイコーの気分ではなかったけれど、動いているうちに、胸がポーっと温かくなった。(炎症とは、違う。)
そのうち気分もよくなって、いつもとはちょっと違うペースで日々の家事、諸々。食欲あって、フルーツの後に、マフィン+ホットケーキ。



10月5日
これまで自分で自分を縛っていた枷(価値観)が緩んだようで、自分をそんなに縛らなくてもよくなった。だから、楽。「こうあるべき姿」にこだわっていると、そうあるためにがんばって無理をする。そうあるといいけれど、そうあれない理由がそこにあるのだから、現実を見て、理想を追わず。少しずつ、だけれど、前とは違う今でいられる。



10月5日
春に咲くような小さな黄色い花の周りを、モンシロチョウがひらひら舞っていた。まるで、春のような風景だった。太陽の光は強く、まるで夏のよう。風はとても爽やかで、涼しい。気持ちのいい秋の風。きれいな水色の空に、ふわりと白い雲。新しい季節がやってきたのかも。いや、新しい季節への移行中なのかもしれない。

今朝は、少し胸に違和感を感じたので、たっぷりと日光を浴びた。どれだけ当たっても、まだまだ浴びていたい感じ。太陽の光、すごい。喜びの光。生かすエネルギー。



10月4日
日の出と共に、朝の家事をこなしている時、いつもスーッと出てくる心の中のべっとりした重し(理由のない不安)が、出てこない。太陽が山の向こうから上るにつれて、空がどんどん明るくなって、私の心はどんどん軽くなる。
こんな感じは、初めて?  理由のないうれしさや楽しさが、心の中で、膨らんでいく。
今日は、休日。久しぶりに、楽しい休日を過ごせそう。(以前は、職場や職場の人のことが思い出され、それだけで心が重かった。仕事関係=べっとりのスイッチになってたみたい。   自分ではどうにもできなかったけれど、今日は、ない! リンクが外れたみたい!!)


頭の中にスペースが少しできたようで、空っぽさが、空の色に似ている。太陽の日差しはとても熱く、昼間は、夏のように30℃を超えるけれど、その光に当たると、細胞たちが活性化して、喜んでいる。
風は爽やかで、空気はクリアー。湿度は高くないけれど、すごく低いわけでもない。なのに、カラリとしていて、湿気を感じさせない。
素足+夏の装いで過ごせる10月、サイコー! 自分の中の安定感と共に、いつもこうであってほしいな。


キンモクセイの香りがふわりとして、ひと歩きしたら、あちこちのキンモクセイが咲いていた。かわいい花に、いいにおい。散歩が、一段と楽しくなる。







9月30日
昨日の夕方、西から東に向かって車を走らせていたら、急に雲を蹴散らせた大きな黄金色の太陽が空に現れ、ルームミラーとサイドミラーに映り、まぶしかったけれど、それだけで元気になった。ほどなくして、姿を消してしまったけれど、あいさつしに来てくれたのか、エールを送ってくれたのか。
その後、街中に差し掛かった時、空にものすごい数の鳥たちがいくつもの形になったりばらばらになったり、空一面に飛んでいた。あんな数の鳥が飛ぶのを、実際にこの目で見るのは初めてかも。さっき、電線に留まっていた大量のムクドリ?たちの仲間なのか??様子を見ていると、とてもうれしそうで、そのあたりの大気には、地磁気がたくさん通っているのかな、と思ってしまった。(だといいなぁ)



9月30日
太い橋の下の河川敷。雨の当たらないところには、草は1本も生えていない。(少しでも水が流れて溜まっていれば、わずかに草は生えている。)水がなければ、植物は育たないというが、Al水がなければ、草たちも生える必要はないということか。また、光がなければ、植物は育たないというが、Al水を太陽に浄化してもらうために葉を伸ばし、差し出している。だから、光の届かないところでは、草はやっぱり生えないだろう。(学校では、そのことは、教えてもらえないなぁ)
雨の当たるであろう向こうは、ずっと緑の草原。定期的に業者の人たちが、草刈りをしている。草が短いと歩きやすいが、ぼうぼう生えていると歩きにくい。公園と名のついている河川敷だから、犬や人が遊びに来る。きれいにしてくれて、ありがとう! だけれど、草たちは、仕事をするために大きく成長する。今は、こんな形。いずれ、天気が変われば、植物たちも変わり、風景が違ってくるのだろうな。本来の世界は? 草ぼうぼうっていうのがないんだろう。



9月29日
本当の自分が顕になって、浄化しながら?見つめなおす機会となったこの9月。また、今日も雨?の時もあったけれど、晴れる日は、大気がとても澄んで、カラリとしている。空は青く晴れ渡り、太陽の輝きがすごい。気温は高くても暑過ぎず、湿度もそんなに低くないのに湿気を感じさせない。晴れた日が続くと、日を増すごとに、その爽やかさや、空間(大気)のクリア感がUPしていくようだ。地球がきれいになってきているように、自分自身の中もきれいにしていかなくちゃ。



9月28日
昨日の朝、近所を散歩しているとき、山際に沿って生えているイチョウの木の1本が、朝陽に当たって、湯気を出していた。まるで、洗濯物が急激に乾いていくようなイメージだった。幹や幹を覆っている苔に含まれた、一昨日の雨水が蒸発しているのだろう。(緑色の苔に覆われた痛々しい幹にも、驚かされた。)

雨の次の日、よく山が霧に覆われていたり、水蒸気が立ち上っていたりするけれど、こうやって木から立ち上っているのを見るのは初めてだ。湯気は、大地(土)から上ってくるのかと、ずっと思っていた。
とても幻想的な風景だけれど、Al雨の降らない本来の自然の中では、きっと見ることのない、今ならではの現象だろう。



9月27日
よくとおる道を車で走っている時、今日は何か違う風に見えて、まるで、知らない街を旅しているかのように思えた。道路脇に生えている草がとてもきれいだし、空気もさわやか。目の前を飛んでいる雀の羽ばたきも、1秒間に何十回羽を動かしているのか!?と、ちょっと驚き混じりに見えたり。これまでとは、何かが違うようだ。



9月19日
地球がうれしい地球の一部になれるように、またここから、スタート。






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